神武天皇とは―系譜・東征・人物像を分かりやすく紹介

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日本の歴史は、一人の若き王の旅から始まります。 その名は 神武天皇(じんむてんのう)

天照大御神(あまてらす)の血を継ぎ、日向から大和へと向かった“建国の英雄”です。

本記事では、神武天皇の系譜、家族、東征の旅、そして人物像まで、
神話としての魅力を丁寧に解説します。

 

 

はじめにー神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)とは

神武天皇の本名は神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこ)といいます。

他にも文献により数多くの名前が記されていますが、
ここでは神倭伊波礼毘古命の意味を解説していきます。

  • 「神(かむ)」=神聖・天津神の血統
  • 「倭(やまと)」=大和(奈良盆地)。”大和の王となる者”という意味を含む
  • 「伊波礼(いわれ)」=盤余(いわれ)という地名。神武天皇が宮を構えた地域
  • 「毘古(びこ)」=尊い男子・王子

◎つまり、神の地を継ぎ、大和の盤余の地を治める尊い男子という意味になります。

 

 

神武天皇の基本プロフィール

{名      前}

  • 神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと) → 和風諡号『日本書紀』
  • 彦火火出見(ひこほほでみ) → 諱(いみな)
  • 狭野尊(さののみこと/さぬのみこと) → 幼名
  • 磐余彦尊(いわあれひこのみこと)
  • 若御毛沼命(わかみけぬのみこと)『古事記』
  • 豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)『古事記』
  • 始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと) → 美称『初めて国を治めた天皇』

{系統(血筋)}
神武天皇は、天照大神の五世孫であり、海神・山神の血も受け継ぐ
天照大神→天忍穂耳命→瓊瓊杵尊→彦火火出見尊(山幸彦)→鵜葺草葺不合尊(父)

{家族構成}
●父:鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)=彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊『古事記』
●母:玉依姫(たまよりひめ)-海神の娘
●兄弟(神武天皇は末弟)

  • 長男:彦五瀬命(ひこいつせのみこと)
  • 次男:稲飯命(いないのみこと)
  • 三男:三毛入野命(みけいりののみこと)

●妻

  • 吾平津媛(あらひらつひめ)
  • 媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)=比売多多良伊須気余理比売『古事記』-正后

●吾平津媛との間の子供

  • 手研耳命(たぎしみみのみこと)=多芸志美美命『古事記』

●媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)との間の子

  • 長男:日子八井命(ひこやいのみこと)ー「日本書紀」には記載がない
  • 次男:神八井耳命(かんやいみみのみこと)
  • 三男:神沼河耳命(かんぬなかわみみのみこと)ー綏靖天皇として即位、2代天皇となる

{誕 生 日}
●庚午年1月1日 筑紫の日向で生まれる

{キャッチフレーズ}
●「太陽の血を継ぎ、日本を創った最初の王」

{性      格}
●強い意志と忍耐力(長い東征をやり抜く)
●柔軟な戦略性(太陽に向かって戦う不利を悟り、迂回ルートへ変更)
●神意を尊重する敬虔さ(八咫烏の導きに従う)

{象      徴}
●太陽―天照大神の血統
●弓と金色の鳶(とび)ー弓矢に止まり光を放った伝承
●八咫烏(やたがらす)ー大和へ導いた神鳥
●橿原宮(かしはらのみや)-日本建国の象徴

 

 

神武東征とは

神武東征とは、日向(宮崎)から大和(奈良)へ向かう大移動の物語で、
最終的に神武天皇が橿原宮で即位し、日本の王権が始まったとされています。

ここでは、その物語を詳しく解説していきます。

 

旅立ち―日向からの出発

神倭伊波礼毘古命は、「天下を治めるにふさわしい地は東にある」と語り、
兄弟と共に東へ向かいます。

遠征に先立ち、彼は、軍船の整備・兵糧の確保などの準備のため、
各地に滞在しました。

  • 宇佐(大分):宇佐都比古宇佐都比売が饗宴を奉る
  • 筑紫(福岡):岡田宮に1年滞在
  • 安芸(広島):多祁理宮に7年滞在
  • 吉備(岡山):高嶋宮に8年滞在

万全の用意をして神倭伊波礼毘古命は、いよいよ東征に向かいます。

 

長髄彦との戦いと兄・五瀬命の死

難波(大阪)に着いた神倭伊波礼毘古命の軍は、
その地を治めていた長髄彦(ながすねひこ)と戦います。

しかし、長兄・五瀬命が矢を受けて重傷を負ってしまい、やがて亡くなりました。

「太陽の子(天照大神の血筋)が太陽(東)に向かって戦うのは不利」
と悟り、紀伊へ迂回し、海路を南へ進むことに決めました。

 

熊野灘での暴風雨(日本書紀より)

熊野灘に差し掛かった時、突然の暴風雨に襲われ、海は大荒れで今にも船が沈みそうになります。

その時、次兄・稲飯命三兄・三毛入野命は憤怒し、
「倭が母は海神であるのに、なぜ海で苦しめるのか」と言って、海の中に飛び込みます。

すると、大波は鎮まり、船は無事航海を続けることができました。

その代償として、神倭伊波礼毘古命は、次兄と三兄も失い一人になってしまいました。

 

熊野での“全軍気絶”事件

熊野(三重県)に到着した一行は、大熊(または土地の神の毒気)に襲われ、全員気を失います。

この危機を救ったのが、布都御魂(ふつのみたま)の剣。

その剣は、高倉下(たかくらじ)の夢に天照大神(あまてらす)高木神(たかぎしん)が現れ、
建御雷神(たけみかづち)の霊剣を神倭伊波礼毘古命に授けるよう命じた剣なのです。

彼がその剣を振るうと、剣の霊力により全員起き上がることができました。

 

八咫烏の導き

熊野から大和に向かう険しい道を、いくつもの山を越えていくうちに道に迷ってしまいました。

ある晩神倭伊波礼毘古命は、天照大神から八咫烏(やたがらす)を授かる夢を見ます。

翌朝八咫烏が現れ、その導きにより大和へ到着することができました。

 

兄宇迦斯との戦い

八咫烏に導かれて宇陀(奈良県)に入ると、
そこには兄宇迦斯(えうかし)弟宇迦斯(おとうかし)がいました。

神倭伊波礼毘古命は、まず八咫烏を使者として送り、従う意思があるかを問います。

弟宇迦斯は、従う意思を示しますが、兄宇迦斯八咫烏に矢を放ち追い返してしまいました。

兄宇迦斯は、神倭伊波礼毘古命を暗殺しようと試みますが、
弟宇迦斯に密告され、自らが仕掛けた罠によって命を落とします。

 

大和の豪族 長髄彦(ながすねひこ) との激突再び!(日本書紀より)

大和に戻ってきた神倭伊波礼毘古命は、再び 長髄彦(ながすねひこ)と戦います。
しかし、何度戦っても勝つことができません。

ある日突然空が暗くなり、雹が降り始めました。
その時、金色に輝く鵄(とび)が飛来し、神倭伊波礼毘古命の弓の先に止まりました。

鳥は稲妻のようなまぶしい光を放ち、長髄彦軍の兵は目がくらみ、戦闘不能におちいります。
その時、一気に攻勢に転じ、神倭伊波礼毘古命の軍は勝利を治めます。

しかし長髄彦は、恭順しませんでした。
神倭伊波礼毘古命を天津神として認めていなかったからです。

長髄彦の主君の饒速日命(にぎはやひ)は、神倭伊波礼毘古命を天津神として認めたので、
長髄彦に降伏するように促しますが、頑として聞き入れようとはしません。

最後まで恭順しなかった長髄彦は、饒速日尊に誅殺されてしまいました。

こうしてすべての敵対勢力を平定したのち、神倭伊波礼毘古命は、
白檮原宮(橿原宮)で即位し、神武天皇となったのです。

 

 

神武天皇を祀る神社|日本建国の聖地をめぐる

橿原神宮(奈良県橿原市)ー神武天皇が即位した橿原宮跡に建てられた聖地

■御祭神
 ●神武天皇(神日本磐余彦火火出見天皇)
 ●媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)

■神社の特徴
 ●1890年(明治23年)、明治天皇の勅命により創建
 ●神武天皇が即位したと伝わる 橿原宮跡 に鎮座
 ●本殿(重要文化財):京都御所の内侍所(賢所)を移築した建物で、 皇室ゆかりの格式高い建築
 ●広大な神域(約53万㎡):大和三山・畝傍山の麓に広がる荘厳な森は、
   “建国の地”にふさわしい静寂と神気に満ちている
 ●深田池:境内南側に広がる大きな池で、四季の景観が美しい名所

■主な祭典
 ●紀元祭(2月11日):神武天皇の即位日を祝う、最重要祭典
 ●神武天皇祭(4月3日):神武天皇の崩御日に行われる祭典

■ご利益
 ●国家安泰・天下泰平・開運招福・必勝・勝負運・困難突破

 

宮崎神宮(宮崎県宮崎市)-神武天皇が幼少期を過ごした「皇祖発祥の地」

■御祭神
 ●神武天皇(神日本磐余彦尊)
 ●可美真手命(うましまでのみこと)〔相殿〕
 ●手研耳命(たぎしみみのみこと)〔相殿〕
 ●神八井耳命(かんやいみみのみこと)〔相殿〕

■神社の特徴
 ●創建は ”神武天皇の時代に遡る” と伝わる古社
 ●現在の社殿は 明治40年(1907年) に建てられた荘厳な神明造
 ●宮崎市の中心にありながら、深い森に包まれた“静寂の聖域”
 ●神武天皇御東遷像(銅像)

■主な祭典
 ●神武さま(宮崎神宮大祭):毎年10月に行われる九州最大級の祭り

■ご利益
 ●開運招福・国家安泰・家内安全・勝負運・決断力向上

 

狭野神社(宮崎県西諸県郡高原町)ー神武天皇の生誕地を守る古社

■御祭神
 ●神武天皇(狭野尊):神武天皇の幼少の名「狭野命(さののみこと)」

■神社の特徴
 ●樹齢400年以上の狭野杉並木(国の天然記念物):参道にそびえる巨大杉が圧巻
 ●神武天皇御降誕の地碑
 ●霧島連山を望む神秘的なロケーション

■ご利益
 ●安産・子授け・成長・発展・開運・厄除け

★今度の休日に神武天皇ゆかりの神社に行って、建国の息吹と神気を感じてみませんか。

 

 

おわりに

最後までお読みいただきありがとうございました。

神武天皇は大和を治めたのち、静かにその生涯を閉じました。

日向を出てからの長い旅路、兄たちとの別れ、数々の戦い。

すべては「国をひらく」という大いなる使命のためだったと、
晩年の天皇は深く悟ったと伝えられます。

やがて畝傍山の麓で崩御し、その御陵は今も深い森に守られています。
建国の礎を築いた神武天皇の物語は、日本という国が歩み始める“はじまり”として、
静かに後世へ受け継がれています。

またお会いしましょう。

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